創立 |
野付牛ロータリークラブの創立は1937年(昭和12年)野付牛商工会の伊谷半次郎会長が中心となり、昭和12年9月19日に野付牛町会議室で結成式を挙行した。この年は、1897年(明治30年)に北光社移民団と屯田兵が開拓のクワを下ろしてから、ちょうど40年目に当たり、開基40年で先人の苦労と将来の発展を誓いあい木材とハッカ景気で沸き返っていた頃である。
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承認 |
野付牛ロータリークラブは、帯広ロータリークラブのスポンサーにより、当時は町という行政区において初めてのロータリーの誕生であった。 昭和12年10月22日国際ロータリーから承認ナンバー4435として承認され、国内で32番目、全道で8番目のクラブとして正式に発足した。 チャーターナイトは、その2年後の昭和14年9月24日町立野付牛高等女学校の講堂において行われた。地元以外の参加者は帯広9名、札幌4名、旭川2名、室蘭1名、また遠くは神戸、今治、盛岡各R・Cからの参加もあり、伝達式(当時は披露式と言った)終了後、温根湯において晩餐会が行われた。 当時のチャーターメンバーは次の26名である。
伊 谷 半次郎 伊 藤 元治 加 賀 操 三田村 嘉作
茶 谷 幸一 永 井 勝次郎 藤 森 賢 三 高 木 円治
斉 藤 孟男 西 川 慎一郎 吉 田 角次 三 宅 演
滝 野 常次郎 中 島 権太郎 西 村 金 蔵 川 村 恒 馬
渡 辺 精一 中 沢 正与 青 木 茂重郎 大 内 出
今 井 良一 宮 志 良 田 巻 成介 田 中 順次郎
辰 田 清太郎 吉 川 弘 一 (結成時は22名)
会 長 伊 谷 半次郎
副会長 大 内 出
幹 事 藤 森 賢 三
会 計 渡 辺 精 一
S.A.A 中 島 権太郎
外理事 5 名
事務所 一力無尽会社内
例会日 水曜日
例会所 ○ヨ楼上
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解 散 |
暗く重い時代を迎え、輝かしい活動を展開していた野付牛ロータリークラブも、当時
軍部の圧力で自発的に解散した。
ロータリーの精神を守り、いつの日か世界的な規模のもとに、再びまみえることを願
い、復活への夢をつないでの解散であった。
その後は“水曜会”の名で太平洋戦争直前まで会合を続けた。
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復 活 |
北見ロータリークラブが再スタートしたのは昭和27年9月16日で、旭川クラブをスポ
ンサーとしてロータリーに復帰、本道8番目のクラブとして承認され、国際ロータリー
からも再承認された。
当時のチャーターメンバーは次の34名である。
伊 谷 半次郎
小 島 定巳
大 槻 繁次郎
辻 丸 政雄
長谷川 政雄
熊 谷 行道
小 川 敬介
田 中 順次郎
広 田 実
前 田 三郎
大 坪 光雄
多 田 久
五十嵐 源次郎
松 戸 実
大久保 喜重
多 田 倍三
伊 藤 元一郎
松 原 鉄策
織 作 伊之助
渡 辺 友太郎
石 崎 彦二
沼 田 晃
大 内 出
安 田 貴司一郎
伊 藤 龍
似 内 哲郎
滝 野 啓次郎
山 本 育夫
藤 井 学
中 川 孝一
高 田 定之助
河 野 実義
仁 科 保
高 岸 喜久雄
(結成時は29名)
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拡 大 |
当クラブがホストとして誕生した新クラブ
昭和33年(1958)留辺蘂ロータリークラブ(特別代表 伊藤龍七)
昭和34年(1959)遠 軽 〃 ( 〃 〃 )
昭和36年(1961)北見東 〃 ( 〃 〃 )
昭和37年(1962)美 幌 〃 (…………………)
昭和46年(1971)北見西 〃 ( 黒 部 吉 一 )
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創立30周年 |
昭和42年10月15日、当クラブ創立30周年に当たり記念式典を挙行、旭川クラブより岡田パストガバナーの御来臨を得て、意義深い行事の数々を催す。
“北見ロータリークラブ30年の歩み”の記念誌を発行。また、記念事業の一つとして北見市立図書館に「北見ロータリー文庫」の拡充資金として金50万円を寄附。
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1969〜70年 第350地区年次大会 |
昭和44年9月20日 北見会館において、当クラブがホストとなり、秋山康之進ガバナー、伊藤元一郎大会委員長のもと北海道単一最後の地区年次大会が85RC、1,143名の参加を得て盛大に開催された。
扇谷正蔵氏「朝のこない夜はない」米山圭三氏「父梅吉を想う」の講演、布施隆治氏のテノール独唱、三浦布美子ショーと、充実したプログラムで全道からのロータリアンに深い感銘と感動を与えた。
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